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危機管理 日記 生活 育児

子どもを危険にさらす場面が日常的にある中で親は必死に育児しているのを虐待って言われたらやっていけないよなぁと思う

こんにちは、koyukaisa.workの真田夕起です!

起きて活動するにはちょっと早すぎた今朝、とりあえず今日から大学が本格的に休み明けな長女のためにストーブを付けておき、いつもは母親と一緒に寝ているけれど今日は夜勤のため一人さみしそうな三女の隣に、ごそごそと入っていったら三女は嬉しそうにくっついてきた、そんな中でまだ若干、魔の深夜2時的テンションが続いていそうな頭で考えたことを忘れないうちに書いておこうかなと思った。

まだ、長女と次女が幼稚園に入る前の幼いとき、私たちは国道沿いにある15階建てくらいの賃貸マンションに住んでいた。

駐車場がマンションの出入り口からはちょっと離れた場所にあって、といっても距離的にはそれほど離れてはいないんだけど、小道一本はさんでいて車通りがあって、心理的には離れていた。なんていうか、敷地内にあるよりは危険性が高まるんだよね~みたいな。

車で近くのスーパーへ買い物に行って帰ってくるときに雨が降りだしちゃっていて、そんな中、荷物と子どもたちを部屋まで運ばなければいけない状況があった。

どの順番にしても、どこかで子どもから目を離してしまう場面が絶対に出てきてしまうんだよね。

もう今となってはどの順番だったのか忘れちゃったのだけど、雨の中、子どもを一人ずつ抱きかかえてマンションの集合玄関まで走り、家まで連れて行ってから荷物を持ってきたか、玄関で待たせて荷物を持ってきてからなのか、とにかくなんとかして、エレベーターに乗り、部屋まで帰ったのかって感じで、そのときは何事もなく済んだ。子どもを抱きかかえているときは、ひゃーとか言いながらだった気がするし、エレベーターに乗ったときは、すごい雨だったねぇなんて話していたかもしれない。覚えてないわ。

でも、目を離したすきに何かあったらどうしようかと気が気でなかったし、何事もなかったからよかったけれど、もしかしたら抱きかかえて走っていた時に転んで親子ともどもけがをしていたかもしれない。

とにかくちょっとした危険。

でも、そんな危険が日常茶飯事にある中で過ごしている人、過ごすしか方法がない人が今もたくさんいるんじゃないかな、と思うんだよね。子どもがある程度まで成長した今だから、あのときは大変だったなぁで私は済んでいるけれど。

べつに危険にさらしたくてそうしているわけではないし、そうしないで済むのならわざわざしないわ!って思いながら必死に子育てしている人がほとんどなのに、やれこういうのは虐待だとか言っちゃう人とか世の中ってなんなんだろうって憤りを覚えることがある。

そうしないと子育てできないなら、はじめっから子どもなんて育てなきゃいいのにって意見もあると思う。うん、そんなこと知っているし自分でもそう思っている、でも子育てしていないお前らに言われたくないわって感じかな。あるいは自分よりも恵まれた環境で子育てできている人に言われたくないわって感じか。

もっと子どもを育てやすい環境ができるといいなぁと思うよ。

そんなことを考えながら、いつの間にかまた眠っていた今朝の私だった。

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日記 育児

次女は専門学校へ行くことが決まった

こんにちは、koyukaisa.workの真田夕起です!

受験シーズン、なのだが、次女の高校ではすでに8割以上の生徒が推薦で進学が決まっているらしく、次女も看護専門学校へ行くことが決まった。

次女いわく、姉のように受験勉強をしたくはないし、いざ就職時期になったときも就職活動をしたくはない、しかし、生活のためにも働いて稼ぐことは必要なので、じゃあ看護師かな、という選択らしい。

指定校推薦で看護専門学校へ行くために、とりあえず日常的な高校生活を真面目っぽく過ごしていた次女は、現実的で要領がいいのだろう。確かに受験勉強中の長女は大変そうだった、というか高校生活が本漬け勉強漬けな感じだったしなぁ、あれを間近に見ていると、こりゃできないなと思うのもしょうがないなと私も思う。

とにかくめでたいのだが、学費は高い。早々と進学先が決まった次女は、高校卒業までに自動車免許を取りに行く、と言っている。まあ、がんばれ。

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日記 育児

去年の今頃は長女が受験生だった、てのが信じられない。

こんにちは、koyukaisa.workの真田夕起です!

あけおめ!

昨年の年末くらいの話かもしれないんだけど、晩ご飯の用意をしているときに、急に一年前は何していたんだろうなぁ、と考えて、そういえば今頃は長女がまだ受験生だったから、クリスマスとか年末とか正月って言っても、なんだかピリピリしていたり落ち着かなかったりしていたんだったっけ、、、?、、、うーわ!今と全然違ってたわ!と気づいた。

この驚きを伝えたかったので、急いで包丁置いて、手はべちゃべちゃのままだったんだけど、ベッドでマンガか何か見てくつろいでいる長女のもとへ走り、そういえば一年前の今頃ってさ!とまくしたてた。げ!そうだったね!と自分のことなのに信じられない長女と驚きを共有しつつ、落ち着けてよかった喜びも共有した。

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パソコン 勉強 日記 育児 趣味

長女とプログラミングを学ぶために読書報告をしている

みなさん、こんにちは。

koyukaisa.workの真田夕起です。いつもお世話になっております。

長女が大学生となった今年から、プログラミング学習をしている。正確には再開している。最初は「エレキットのプログラミング・フォロ」を使っていたんだが、思った以上にすぐ終わってしまった。長女は大学の教養科目でマイコン制御を学んだり、集中講義「プログラミング構築手法を学び、論理的思考を習得しよう!」などでコンピューター言語やプログラミングを学んでいたし、高校の授業ではPythonを使っていたようなので、次はとりあえずPythonを学んでみよう、ということになった。

Pythonを学ぶにあたって教科書代わりに「Python[完全]入門」を使っているのだが、なんだかんだとお互い忙しかったり日程調整ができなかったりで、全然進まないことが続いてしまった。

これじゃあ、いつまで経っても終わらないし、続きからといいつつも前回どこまでやってどんな内容だったのか忘れていてまたやり直し、という事態も起きているから、なんとかしないとだめだねとなった。かといって、それぞれで進めるのは何となく嫌だし違う気がする。どうしたものか。

そこで、お互い本を一度読み通すことにした。意味不明だったりわからない単語が増えてきたり、ハイただ読み終えましたよ~となるかもしれないけれど、全く読まないよりは頭に入っている量が違うし、一度読んでから補完しあうほうが、どこがわからないのかとか、あやふやになっているのかとかがわかるだろう、と思われた。

そして、読んだページを毎日SNSで報告しあうことにした。

この、報告行為が思ったよりも効果的だった。

自分がだらけていて、今日はなんにもやってねーな~、と思いつつもやる気が起きないときでも、読んだページの通知が来る。向こうは忙しい(たぶん)はずなのに、こうやって律儀に読んで報告してくれる、それなのに私は一体何をしているのか、と申し訳ない気持ちになり、これではいかん、1ページでもいいから読み進めよう、とやる気が出るし、実際読めている。

でも、読み進めていくと、どうしてもわからないところが蓄積してしまうし、実際にプログラムを書いていないので、覚えられない。

プログラムを書くのはあとに回すとしても、わからないところをそのまま読み飛ばしていくと、今後読み進めるうえでも支障が出てきそうだったので、ある程度読み進めたらノートにまとめて、さらにまとめたものをトイレのホワイトボードに書くことにしている。これなら用を足しながら覚えられるし、疑問に思ったことを書いておいたり、あとで話し合うことも可能なので便利だ。

独学で勉強を進めていくときの最大の欠点は、孤独な環境でやる気を出すのが難しい、ということだと思う。かといって誰かと勉強をすると、日程調整が難しかったり、一人のときよりもだらけてしまうこともある。

お互いに報告しあう方法は一時的なものとして終わる可能性が高いが、勉強のある段階までは非常に有効な手段なのではないだろうか、と思うので、同じような悩みを持っているならばぜひ取り入れてみてほしい。

今回はこれまで。では、また!koyukaisa.workの真田夕起でした。

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商品 日記 生活 育児 趣味

新しい3匹の金魚たち

こんにちは、koyukaisa.workの真田夕起です。

10/28に金魚さんたちを迎え入れました。

全員、小赤です。

試しに偽水草とたこつぼ、水を浄化してくれるらしい岩を追加してみたところ、予想以上に見た目が良かったので、翌日にさらに偽水草とLEDライトを追加しました。

ライトを付けたとたんに華やかさが出て、水族館になったね!、と喜ぶ娘たちに、どうしてもっと早くからこれをしなかったのだろうとちょっと残念な私でした。

玄関にはコンセントがないので、ポンプを置くことができず、だからライトも無理だと思っていたのですが、最近の電球はほぼLEDに置き換わったために、電池やUSB電源でも動くものがあるんですね。ホームセンターで買った水槽のフタにちょうど「GEX のスリム高輝度LED FLATTY」がぴったり収まるように設計されていることがわかったので、購入しました。携帯電話用のUSBモバイルバッテリーをつないで使っています。

ヒレに黒模様がある人の名前は「ぴれてん(長女命名)」。ほかの人たちはいまだに名前がないけれど、どうするんだろう?

ヒーターやポンプもバッテリー駆動できれば熱帯魚が買えるのに、とも思うけれど、やっぱり金魚がかわいいし楽だしいいのかも。ぜひ長生きしてほしいです。

それでは、また!

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商品 日記 生活 育児 趣味

コンパスと定規で描く作図に関する本を買った

こんにちは、koyukaisa.workの真田夕起です!

9月上旬、三女が通う小学校で土曜参観があった。

ちょうど三女の教室は算数で、コンパスを使う授業を行っていた。

円を描いてみよう!みたいなところからスタートして、、、
違う大きさはできるかな?、、、

そこで、コンパスでこんな形は作れるかな?という問題を解いていて、最初の問題はできていたんだけど、

確かこんなんだったと思う(実は忘れた)んだけど、半円を使うみたいな感じ、、、

授業最後の発展的問題?でつまずいていた。答えを知っている大人が見ると、ああなるほどね、つまずきそうだわ(ククク)、という問題で、すぐに答えを教えたら面白くないから、うっすらとしたヒントもどきをチラつかせて三女をからかって面白がっていた。

四分の一の円を使う作図問題。どこに針を刺すのかが最初は戸惑うし、わからないよね。

でもねぇ、その授業見てたら、コンパス作図の面白さを感じちゃったんだよね、私が。

そういえば高校数学だったか中学数学の学び直しをしようとか思っちゃって実際やってた(けど読むだけで終わったからあまり意味がなかった)ときに、基本的に作図はコンパスと、真っ直ぐに線を引くためだけに使う定規しか使わない、みたいなことが書いてあって、へ~っ!と思ったこととか、昔たまたま付いてたテレビが目に入ってきたときに、コンパスを使って日本の家紋を描くとかやってて、面白いなと思ったこととかを思い出してしまった。

調べたら「コンパス作図の本」がいくつか出版されていることがわかったので、ついつい買ってしまったよ。

本屋で買ったんだけど、一冊はデザイン棚にあって、もう一冊は人文書の神話とかファンタジー系の本が並んでいるところにあった。別の興味を広げちゃうからやめてほしい。

こんな感じで思ってもみなかったときに興味や関心を持つことが多い生活を送っている。子どもの教育にもつながるし、とか言いつつも、どっちかといえば自分の幅?を広げる学び直しのためにしているという事とか時が結構ある。良いんだか悪いんだかわからないけれど。

コンパス作図の本はこちら

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日記 生活 育児

子どもに言う「言うこと聞け」の意味って

こんにちは、koyukaisa.workの真田夕起です!

今日の朝、三女にくどくどと文句を言う形になってしまった。

Microsoft Bing Image Creatorにて作成。「朝っぱらから小学生の娘にくどくどと説教する父親」

おそらく、というか絶対こんな言葉伝わってないんだろうな、と言う前からわかっていても言ってしまったんだ。

「少しは言うこと聞いて」

そして、その言うところの意味を長々と説明したんだよね。

親が子に、言うことを聞きなさい、って言うときって、決して、親の言う言葉に従いなさい、ってことではないんだよ。もちろんそういうときもあるけれど(特に命にかかわるようなことでは)。

そもそも親の言う言葉をはいはいと聞くような、素直な良い子供、なんて私は嫌いだし、気持ち悪いとさえ思っている。それは単に、親にとって「都合の良い」子でしかない。だから、親の言うことなんて、むしろ聞くなと言いたい。

だから、私の「言うこと聞け」は、親の「言うことに従え」じゃなくって、「少なくとも言っている言葉に耳を傾けてくれ」って意味なんだよね。そうやって言われてしまう何らかの原因があなたにはあると認められているよ、他人から見れば子どもである今のうちに本当にそういう行動を続けて良いものなのか?そのことについて立ち返ってあなた自身で考えてみてほしいの、そのうえで行動してほしいと思っているから、言うこと聞け、って言ってるの。

まあ、くどいよね。

朝から聞きたい言葉じゃないし、また怒られた、あ~あ(呆れ)、くらいにしか受け止められていないんだろうし、三女はそんな表情だった。あえて上の空を装う、みたいなね。私、怒ってないし。でもわざわざ、私は怒っているわけではないからね、といつものように説明するのも今日は面倒くさかった。

さらに苦言を続けるのもどうなんだろうと思うけれど、続けたわ。

「自分のことばっかり考えるなうんぬん」

これは、他人のためになるようなことを優先させなさい、ってことじゃないんだよ。みんな自分のことしか考えてないんだから、自分のことだけ考えてりゃいい。けれど、自分のことだけ考えて自分のためになるようなことをしようと思えば、人があふれかえっている社会で生きているんだから、他人の状況とか意見とか要望とか、とにかく他人(ひと)のことも考慮に入れ(つまり考え)て行動しないと、自分が有利な立場でいることができないでしょ、だから人のことを考えろ、って意味なのよ、、、、、(うん、くどいのはわかってるし、話している途中にもくどいと思うけれどと言いながらだった)、、、、、、と説明した。(しかも今は文章に起こしているから、言っていた時よりもまだまとまっている、、、。)

言うこと聞いたところでうまくいくとは限らないし、人のこと考えて行動したところで思い通りになるわけじゃない。それは大人だってそうだし、経験の浅い、力もまだ足りない子どもならなおさらだと思う。せっかく考えて行動したつもりでも結果的にはまた注意されたり怒られたり叱られたりだって多いだろう。でも、それで良いと思う。それが子どもなんだから。

でも、人のことを全く何にも考えてないのかな、とか、こいつは人の言うことを全っ然聞かないな、とか思うような行動しかしていないと私の目に映るときがそれなりにあって、それは非常に残念でもったいないなぁと思うんだよね。

もちろん、そんなことばっかりじゃないし、こいつ頑張ってるな、成長してるじゃん?!て感心することもたくさんあるよ。多分だけど三女は、人の言ったことよりも、まず自分で考えて行動して失敗して学ぶ、経験から学習するタイプの人なんだろうと思う。私はおそらくそのタイプで、そんな私を私は嫌いだから、三女には同じ轍を踏んでほしくないなぁ、と思っているのかもしれない。、、、無理か。まあ、この先も元気にがんばって生きてくれ!と応援し続けよう。

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日記 生活 育児 音楽

歌詞の区切りを間違えて意味がわからないときってあるよね

我が家では特に次女がそうなんだけど、歌詞って区切り方を間違えると全然意味がわからないのに、長年にわたって正しい意味を知らないまま過ごすことがある。

本人は真剣に、おかしいな意味が分からないな、と悩んでいるんだけど、周囲は、いやそれはこうでしょ、とわかっていることが多く、そこに笑いが生まれる。

ロコビ

Microsoft Bing Image Creatorで作成「ばい菌と戦うロコビ」

アンパンマンの主題歌」で、次女には「生きる喜び」が「いきるよ、ロコビ」にずっと聞こえていて、ロコビってなんだろうと真剣に悩んでいたらしい。意味を知った今でもロコビに聞こえるらしいし、「あれはロコビでしょ」と主張している。

ガモッテル

Microsoft Bing Image Creatorにて作成「ガモッている女の子」

メルモちゃんの主題歌」で、私は「が持ってる」が「がもる」という動詞に聞こえていた。メロディーの区切りが「、が持ってる」なので確かにそう聞こえてもしょうがないな、と思う。

「ガモッている」とは、 「ガモっている」とも言われ、 「持っている」や「勝ち気な」などの意味を持つ若者言葉です1。 この言葉は、 「ガモ」が「鴨」のことであり、 「鴨がねぎを背負っている」ように、自分に有利な状況にあることを表現しています1。 また、「ガモ」は「ガールフレンド」という意味もあり、 「ガモッている女の子」は、「彼氏がいる女の子」や「モテる女の子」というニュアンスも含まれます2

Microsoft Bing

キヨシコ

Microsoft Bing Image Creatorで作成した「聖なるキヨシコ」

これは結構な人が間違えるんじゃないかと思う。「きよしこの夜」が「キヨシコの夜」に聞こえる。キヨシコって誰だよってどう考えてもおかしいんだけど、ほぼクリスマス時期にしか聞かない歌なので、どっかの国にはキヨシコという人が居てもおかしくないよなとか、日本以外の国ではキヨシコと呼ばれる日の夜があるに違いないとか考えてしまうのかもしれない。

Microsoft Bing Image Creatorで作成。「聖なるキヨシコ(長女が言うにはこんなイメージかもしれない版)。キヨシコは金髪の美しい少年で、白い洋風の法衣を着ている。前髪は真っ直ぐに切り揃えられており、眉毛が見える。目は青く細く吊り目で、クールな表情をしている。髪型は切り揃えられたショートボブで、おかっぱ頭になっている。真正面を向いて口元はキリっとして笑ってはいない。背景は白。」

雨ふり

Microsoft Bing Image Creatorにて作成

これは聞き間違いというより、次女が歌詞の状況を理解できなかったという例。童謡「雨ふり」は、「雨の日に子どもを迎えに来た母親がいる。親子が傘をさしながら歩いていると傘のない子がいる。子どもが自分の傘を傘のない子にあげて母親の傘に入って帰る」という歌だが、次女は最初に「ぼく」が出てこなかったために、1番の歌詞を「母さんだけが雨の中を嬉しそうに歩いている」という状況だと思い、2番はあまり聞き取れなかったので聞き流し、歌詞が長いために3番と4番は合体してしまい、傘のない子を見つけた母さんが傘のない子に傘を貸す話になり、そして、なぜかまた4番が現れて、さっきまで傘がなかったあの子が母さんに対して「僕の傘、貸そうか?」と聞いてくる話になり、なんなんだこいつは??となったらしい。最後は「僕」と言っている誰かがいきなり現れたのかと混乱したり、「僕」と名乗るのは傘をもらった子で、母さんに傘をもらったにもかかわらず、また母さんに傘を貸してきた挙句、母さんの傘に入り込んできた奴なのか?と混乱したらしい。つまり登場人物が「母さんと傘のない子」だけであり、そいつらだけでやり取りをした挙句、謎の僕がいきなり現れる話に思えたらしい。意味不明である。さすがにこれは早い段階で気づいたらしいのだが、そもそもそんな混乱の仕方はしないだろうと思う。

雨降りの中、母さんは一人で嬉しそうに歩いていた。母さんは、今日、仕事で大きな成果を出すことができた。

母さんは、営業部に勤める30歳の女性だ。今日、母さんは、大口の取引を獲得することに成功した。この取引は、母さんが担当しているプロジェクトの成功に欠かせないものであり、大きな成果となった。

母さんは、上司から、この成果を称賛された。上司は、母さんの努力と才能を高く評価し、給料を10万円アップさせた。

母さんは、この成果をとても嬉しく思った。母さんは、いつも仕事で結果を出したいと努力してきたが、なかなか成果が出せずにいた。しかし、今日、ようやくその努力が報われたのだ。

上司から褒められ、給料も上がった。母さんは、この幸せを誰かに伝えたくて、一人で歩いていたのだ。

母さんが歩いていると、雨でずぶぬれになっている子どもを発見した。子どもは、震えながら、母さんの方を向いた。母さんは、すぐに傘を差し出し、子どもを雨から守った。

「大丈夫か?傘を貸そう」

母さんは、子どもに傘を差し出した。子どもは、傘を受け取ると、母さんの方を見た。そして、こう言った。

「僕の傘を貸そう」

母さんは、驚いた。子どもは、自分の傘を持っていなかったはずだ。

「え?でも、あなたは傘を持っていないでしょ?」

母さんがそう言うと、子どもは、こう答えた。

「僕の傘は、ここにあります」

子どもは、母さんの傘の中に手を伸ばした。すると、母さんの傘の中に、もう一本の傘が現れた。その傘は、子どものサイズにぴったりの傘だった。

「どうしたの?なんで傘が出てくるの?」

母さんは、不思議そうに聞いた。

「僕は、雨の中の子どもを助けたいんだ。だから、いつも傘を二本持っているんだ」

子どもは、そう言って、母さんの傘の中に入ってきた。母さんは、子どもを傘の中に入れて、一緒に歩き始めた。

「僕は、大人になったら、世界中の子どもたちを助けたいんだ」

子どもは、そう言って、母さんに、自分の夢を語った。

「世界中の子どもたちが、笑顔で暮らせるようにしたいんだ。そのためには、まず、戦争や貧困をなくさないといけない」

子どもは、世の中の不安やよくないことを、母さんに語った。

「戦争は、子どもたちを悲しませ、苦しませます。貧困は、子どもたちの夢を奪います」

子どもは、そう言って、自分の考えを語った。

「僕は、戦争や貧困をなくすために、何かしたいんだ。そのためには、みんなが力を合わせないといけない」

子どもは、そう言って、母さんに訴えた。

「みんなが優しさを持って、助け合えば、世界はもっといい場所になると思うんだ」

子どもは、そう言って、母さんに微笑んだ。

母さんは、子どもの言葉に、胸を打たれた。子どもは、まだ幼いのに、世の中の現実をよく理解し、それを解決するための方法を考えようとしていた。

「あなたは、とても素晴らしい子だね」

子どもは、母さんの言葉に、嬉しそうに笑った。

母さんと子どもは、雨の中を、しばらく歩き続けた。

母さんは、子どもの話に耳を傾けながら、優しく微笑んだ。

母さんと子どもは、雨の中を一緒に歩いた。そして、いつの間にか、雨は止んでいた。

母さんと子どもは、別れ際に、こう言った。

「ありがとう。また、会おうね」

「また、会おうね」

母さんと子どもは、笑顔で別れた。

母さんは、子どもに会ったことを、忘れなかった。母さんは、子どもの言葉を胸に、これからも、困っている人を助けていきたいと思った。

そして、母さんは、また、雨の日に一人歩きをするようになった。母さんは、また、子どもに会えるかもしれないと思うと、嬉しくなった。

終わり

この物語は、雨の中の子どもを助けた母さんと、その子どもとの出会いを描いた物語です。子どもは、いつも雨の中の子どもを助けるため、傘を二本持っているという謎の存在です。母さんは、子どもの言葉に触発され、困っている人を助けたいという気持ちを取り戻します。

この物語のテーマは、「優しさの連鎖」です。母さんの優しさは、子どもに伝わり、子どもの優しさは、また他の誰かに伝わっていくでしょう。この物語を通して、読者が優しさの大切さに気づいてもらえたら幸いです。

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歌は特に聞き間違いが多くなると思う。子どものころは知っている言葉も少ないし、さらにメロディーによって単語が日常生活とは違う区切り方や抑揚になるので混乱しやすいのだろう。どこかの時点で気づくはずなのだが、なぜか大人になってから気づくこともあり、恥ずかしい思いと笑いを生むこととなる。

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日記 生活 育児

使い方に気を付けさせられている言葉ってある?

こんにちは、koyukaisa.workの真田夕起です!

我が家では「ら抜き言葉」に対して極端なまでに訂正を入れることが習慣化しているのだが、その他にも使い方に気を付ける、正しい使い方をしないと即座に訂正されたり、突っ込まれたりする言葉がある。

たり

~したり、と言ったら、必ず他にもすることを続けなければいけない。長女と次女によると、「たり」は複数のことがないと使うのはおかしい、とのことである。ついつい会話の中で「たり」を使ってしまうと、他にもなんか例があったはずだと考えて「~したり」と続けているのがバレバレで笑われる。

おもむろに

漢字では「徐に」と書くとおり、「徐々に、しだいに、だんだんと、ゆっくりと」という意味なので、「急に」という意味で使うのはおかしい、と長女が高校で習ってからは厳格化してしまった。私は意味を知らないで「急に」の意味合いで長年使っていたため、「何をそんなにおもむろに…」などと言いそうになるのを直前で思いとどまることが多い。

全然

全然~ない、と否定形が続く形で使わないと許されない。以前会話の中で「全然もったいない」と多分三女が言ったことに対して、「それは使い方がおかしい」とツッコミが入ったことがあった。しかし、もったいないという言葉はそれが一語であって、確かに~ないという言葉ではあるけれど、否定形ではないから間違えるかもね、きっともったうなどという語がある、だのと適当なことを言って盛り上がった。

使うことが禁止されている言葉

「ヤバい」と「マジで」は、家庭内で使うことを私が禁止している。単に好きではないという理由からである。「ヤバい」を使うのは妻が多いのだが、言うたびに妻は「ヤバい!?」とか「はい、ヤバいって言った~」「ヤバい、禁止」などと突っ込まれている。その割に私がつい「ヤバ!」と言うこともあるので、自分勝手なものである。次女はよく何らかの言葉を略してくるのだが、これも「え、○○って何?」などと主に私と長女がたとえ意味がわかったとしても嫌みったらしく聞き返して、略さない本来の語を言い直させる行為が横行している。最近で思い出すのはオーキャン(オープンキャンパス)。広く世の中で浸透している略語ではなく、ごく一部でしか通用しないような業界用語的な略語は基本的に禁止である。

他にもあったような気がするのだが、今は思い出せないのでこんなもんで許すことにする。

しかし、こだわるならもっと他に重要なことがあるだろうに、とも思うのだが、各家庭にもはたから見れば無駄とも思えるこだわりがあるのだろうか、とちょっと気になる。

ということで、今回はここまでです。最後まで読んでいただきありがとうございます。それではまた次回。koyukaisa.workの真田夕起でした!!

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かたづけ 家事 日記 生活 育児

物を捨てる直前に習慣化していること

こんにちは、koyukaisa.workの真田夕起です!

かたづけが好きだ。

しかし、かたづけが好きだと、どうしても物を処分しなければいけないことになる。

Microsoft Bing Image Creatorで作成「主夫がありがとうと言いながら整理整頓をしてゴミ箱に物を捨てている」

たとえ本音ではそんなことを一つとして思っていなくても、物を処分するのは心が痛む。物を捨てることをためらわせてしまうほど優しいそんな私の気持ちに折り合いをつけるためにしていることがある。

それは、捨てる直前に物に「どうもありがとう」と声に出して言うことだ。

この、どうもありがとうの言葉には、今まで役に立ってくれてありがとうという感謝の気持ちや、それほど役に立ったというほどではないけれど、一時の購買意欲くらいは満たしてくれたことに対するありがとう、実際は本当に役立たずでなんだこのやろう、せいぜい場所を今の今まで占有してくれてありがとうよ、などのさまざまな気持ちが込められているのだが、とにかくどちらにしても物と私や家族との関わりがあったことは確かで、その一期一会(単に使ってみたかった言葉)の出会いに対する感謝が込められている。

どうもありがとう、と言うだけなのだが、私の心は落ち着く。言った瞬間、私という罪悪が許されるのだ。

ということで、どうもありがとう、と声に出して言ってから物を処分することが習慣化している。そばに家族がいるときには、その人たちにも言ってもらっている。ほうれん草にもなるので便利な言葉である。

実際のところ、習慣化しすぎているので、捨てる直前に「はい、どうもありがとー」、「(携帯電話見ながら)ありがと~」、「え?あー、ありがと」などと、おざなり対応だったりするのだが、言わないよりは言ったほうが良いに決まっているし、言ったもの勝ちだ。

しかしながら、このありがとうがここまで浸透していることで、物を処分することに対して家族全員が免疫を持っているとでも言うのか、慣れているので、物を手放せなくて困ることは少ないと思う。子どもたちも、物心付く前からこういった私のやり方に洗脳されたおかげで、部屋中散らかされて処分できなくて困るわぁ、と悩まなくて済んでいる。

ということで、今回はここまでです。最後まで読んでいただきありがとうございます。それではまた次回。koyukaisa.workの真田夕起でした!!

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