主夫はひま?と言われがちだけど、実はちょっと違う
たぶんなんだけど、おそらく確信として、世間一般では「主夫生活は基本的にひまなんでしょ?」と思われてるんじゃないかな。主婦じゃなくて、主夫ね?主婦だと、たとえば「子どもが好き、料理が好き、インテリアが好き」とかってイメージがあるけど、主夫だと無くね?
まあ、そうなんだよね。完全に当たり。実際さ、暇な時間って多いのよ。でも、単純に暇だっていうなら良いんだけど、完全にそうだ!とも言い切れないのがちょっと面倒なところなんだよね。うまく伝わってる?
どうせ、生活に余裕があるんでしょ?単なる道楽者のタダ飯喰らいの役立たずなのでは?とか言われそうなんだけどさ、まあ、実際そういう気もしてくるから反論できないんだけどねWWW
主夫生活の本質は「待ち時間の長さ」にある
うーん🤔、なんて言えば良いのかなぁ。待ち時間が異常に長いんだよね、生活の中で。家族のために待っている時間ってのが必ず発生して、それが長いの。で、その途中途中に、私を含めた家族全員の生活を維持するために、必要だけどお金にならないような仕事(笑)が、ところどころに入ってきて、時間帯によっては、「殺伐」という言葉が、ぴったりなくらいに忙しくなるような生活なのさ。
特に、乳幼児を抱えていた時期は、子どものことを待つのが一日の大半って感じかな。ずっとご飯を作り続けていたり、掃除洗濯し続けていたり、おしめを変え続けていたり、こどもと一緒に汗だくになりながら遊びつづけていたり、食べさせ続けていたり、歯を磨き続けていたり、寝かしつけ続けていたりするわけでは、ないよ?もちろんそれぞれの時間はあるんだけど、その時間は忙しいし大変なんだけど、過ぎてしまえば一瞬と言えるような時間。で、そのほかの時間は、それらの忙しい時間が来るまでの待ち時間みたいなものなんだよね。
子どもが成長して大きくなってきても、そういう生活はしばらく続く。大きくなってきたからって、全部、全てのことを自分で完結できるようにはならないから、どこかで手助けが必要になってくるし。
手助けって言っても、ほんのちょっとした事かもしれないし、一瞬の時間かもしれない。でも、その「ほんのちょっと」が必要になるのが不定期の断続的にやってくるから、私が欲しい「お金を稼ぐためのまとまった時間」を取るには、大きな壁になることがあるんだよ。それさえなければ、できることがあるのになと悩むことがいまだにある。
たしかにさ、幼稚園、学校に行きだすと、その間は「じゃあ、よろしく」と言って、ある程度まとまった時間が取れるようには、なってくるように見える。でも、油断はできないのさ。子どもって、まだ弱いから、すぐに風邪をひいたり、体調を悪くすることがあるからね。そのときには、私が世話をするか、代わりに見てくれる人を確保しなくちゃいけない。連休とか夏休み、冬休み、春休みとかの長期休暇が入ってきたら、子どもだけを家に残しておくわけにはいかないとなると、実際には全然やることなくても、始終家に縛られる生活を強いられるわけよ。だから、ある程度まとまった時間は取れますよね?っていっても、完全ではない。自分のための自由時間じゃないんだよね。
お金で時間を買う選択肢と、それでも残る生活の拘束感
もちろん、そうじゃないとか、そんな余裕ないって人も世間一般にはたくさんいるよ?共働き、シングルで働いていて、待ち時間なんて無いって生活の人ね。そういう人たちはどうしてるの?っていうと、稼いだお金を使って、そういう待ち時間に待ってくれる人を買う、時間を買っているんだよね。保育所とか家事代行サービス、習い事とか?働いているけれど、そういう時間を買うほどの余裕が無いって場合は、専業主夫(婦)を選ばざるを得ないことも多いけど。
ジジババの力を借りる、という人もいるよね?でもさ、そこに金銭契約がないなら、単なる労働力の搾取とも考えられるし、結局のところ、誰かに負担を押し付けて、面倒な待ち時間なんてないと思ってるだけであって、とにかく突き詰めて考えなくても、「主夫(婦)的な生活の中で発生している無駄時間そのもの」が無くなっているわけではないんだよね。
まあ、個人個人、その家庭で、差があるから、絶対とは言い切れないんだけど。ずっと暇ではないけど暇、かといって、忙しいわけじゃないけれど忙しいといって良いほどには、拘束されている…、それが主夫(婦)生活なのではないかなと、専業主夫生活を20年以上続けている私は、思うんだよね。
ということで、今回の記事はここまで。
読んでくれてありがとう。また次の記事で。
