こんにちは、koyukaisa.workの真田夕起です!
初めて訪問してくださった方も、いつも読んでくださっている方も、ありがとうございます。本日も楽しんでいただける記事をお届けしますので、どうぞリラックスしてお読みください。
どうして家族の者たちが自分のことで好き勝手に動いているのに私だけ掃除洗濯飯炊きして、休日で暇している子どもの相手をしなければいけないんだろう?とイライラした。
イライラするくらいなら自分も好き勝手にしてりゃいいんじゃないか?とも思うんだけど、できないから余計イライラする。自分勝手に出かけて低学年の子どもを独りしていたら「虐待」にあたるしね?じゃあ、子どもと一緒に楽しめることを考えれば?ってなるかもしれないけれど、その時点で好き勝手には絶対にできないんだよね。
家の中にこもっているからふさぎ込んでしまうのでは?と考えてみるんだけど、そもそも私は出不精で人嫌いだから、むしろ家の中にこもっていたい、一人で。
となると、家の中を快適に保っておくための最低限な家事はしなくてはいけないし、外で食べないなら食事の用意は必要だし、出前~はあまり好きじゃないし、適当に弁当でも買ってくるか、、、出かける必要があるから却下、じゃあ作るか、となってしまう。
だから、自分にも必要で、自分がやりたいと思ったから、家事と育児をしている。
と、納得したうえで私は今の行動をしている、と思うんだけど、全然納得なんてしていないんだよね。だからイライラしている。
どうして納得できないんだろう?と毎回同じような状況が起きたときに考えるんだけど、こういう状況を当たり前のことと認識していないからなんじゃないかな、と思うんだよね。
だって、私の世代(現在46歳です)って、男は仕事、女は家って考えが大半の世の中で過ごしてきてるから。
今は技術・家庭科は男女関係なく同じに習っているけれど、私のときは男は技術科で女は家庭科と別れていたし、いや実際は家庭科も習ったけど、それもほんの初期だけになでる程度。家の中でだってそう。生活の中でなんとなく自然と慣らされていくことに、家の中のことが女の子よりも含まれていなかったし、とにかく人生を歩いてきた中に、家の中のことや子どもを育てるということをする行為は男が当たり前のようにすることであり、なんの疑問もない、という考えは、なかった。でもこれ、今でもそうでしょ?
どうせ家事育児をするなら、楽しさは覚えなかったとしても、せめて当たり前のようにこなすくらいはしたい、と私は思うんだ。もう15年以上こういう主夫生活しているんだしさ、いい加減、、、て思うんだよ。
でも、それができないんだよね。これって私の中に根深くある男女差別意識が今でも強く働いているからだと感じる。男女差別は良くないよね、と言いながらも長らく男女差別社会を続けてきている世の中で生きてきた私の中にも、立派な男女差別意識が根付いているから、家事育児をすることが当たり前のようにできない。女性でさえ、どうして家事育児をするのは女だと役割られているのか?って思い始めている世の中で、男の私が家事育児をすることを自然と受け入れられると?まさか!この生活を続けているのは社会で生きていくうえで私にできるのはこれ「くらい」しか残されていない、と理性的に分析した打算でしかない。誰も好きでやってなんていないよ。
おそらく一生悩み続けるんだろうなぁ、と思うんだよね、これ。嫌だなぁ。でも仕方ないよね。今までの人生で培ってきた大木だから。
ということで、今回の記事はここまでです。最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
今後も皆さんの役に立つ情報をどんどんお届けしていきますので、次回もお楽しみに。ご質問や感想があれば、コメント欄で気軽に教えてくださいね。真田夕起でした!!
チャンネル登録やブックマーク、いいねやコメントをいただけるととても嬉しいです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。