私、ぎっくり腰で入院していました。おかげさまで無事に退院できたのですが、いざ日常生活に戻ってみてその大変さに驚きました。
ささいなことが大変!
退院して外に出て
まず、病院の玄関を出た時の外気に驚きました。
冬なので冷たいのはもちろんなんですが、そのほこりっぽさにびっくりです。家から出てもそれほどまでには感じないほこりっぽさで、どれだけ病院内の空気が清浄化されているんだよ、逆に日常の空気はどれだけ汚いんだよって感じです。
玄関の段差が新鮮だし、病院前の駐車場のちょっとした勾配を上るだけで筋肉を使っている気分。雪でがたがたの道が怖いし、雪が溶けてジャリジャリしていたりツルツルしていることが異常なほど体中に伝わってきます。
私もジャンパーを着ているのに、防寒服姿の人々を見るのが新鮮で、まるで異国に来たかのように思ってしまいました。
自分ではもう日常と変わらないくらいに治ったと思っていたし、それが認められたから退院もできたのですが、考えが甘すぎたようです。
一人で帰れるからと家族の送り迎えの申し出を断り、公共交通機関で帰る計画を立てるために寄った大型スーパーマーケットのフードコート内でドーナッツをぱくつきながら、見通しの甘さを痛感してしまいました。
一日中ベッドの上
朝、起きてトイレに行く、というただそれだけのこと。それすら入院していたときはできないことがありました。
ぎっくり腰で起き上がることができないときは、朝起きてし尿ビンにおしっこを出し、片づけてもらうという生活が2日間ほど続き、ご飯のとき以外は基本的に起き上がらず、起き上がるのも電動ベッドのリクライニング頼りです。幸いに、なのかその2日間は便意がなかったのですが、あったらどうなっていたかと今思い出してみてもひやひやしてしまいます。
治すためだけに生活する
風邪で寝込んでしまったときなどは何もできずに布団の中で一日中過ごすことがありますよね。
でも、ちょっと調子がよくなったからと、ついつい今までできなかった片づけものをしたり日常の滞り分を解消しようとしてしまう、そうせざるを得ないときがありませんか?
そんなの当たり前じゃん、と思ってしまいますが、病院生活ではそれが当り前ではありませんでした。
入院中は基本的に病気やけがを治すため「だけ」に生活するんです。
いや、それはそうだろう、だって入院しているんだから、と思いますよね。もちろんそうだったのですが、ただその度合いが私の想像を超えて徹底されていました。
ちょっと無理がありますが、基本的に王様やお姫様待遇だけど囚人な状態、を想像してみてください。入院生活はそんな感じなんです。
治療を妨げるものであれば、どんなものごとでも排除されます。
基本的にベッドの上が生活の場です。しかし、ベッドの上だけでは筋肉が衰えてしまうため、それを防ぐための運動は、患者の状態に応じてその度合い、リハビリテーションとして推奨され実行されています。
ちょっとした片づけ…ベッドサイドテーブルの上のごみをベッド脇のごみ箱に落としたり、水飲み用コップを移動させたりくらいです。家の中にいれば掃除洗濯はもちろんのこと家事の一切をやらなくてはいけませんが、そういったことは全て人任せです。
しかも、そもそも入院生活、治療に必要ないものは周囲にありません。物が少ない。病室がそれほど広いわけではない、ということも理由としてはありますが、持ち物は本当に必要最小限です。だから、することが回復に努めることくらいしかありません。
こういった環境が病棟全体に徹底されていました。入院中はその中で生活していたわけです。
入院生活と日常生活のはざまで
退院後の数日間、私の中では入院中の生活と日常生活とで大きな違和感がありました。
入院中どれだけ楽だったのか、逆に言えば日常生活がどれだけ過酷なものだったのかと思い知らされたんです。
日常生活の中には障害がたくさんあります。
調子が悪くないときであれば、その障害は気にも留めないほんのささいなものなんですが、「もしも調子が悪いときであれば、例えば腰が痛くて起き上がれないほどだったら?」と辺りを見回すと、ここは危ない、そこは体に無理がかかるなどと、障害物だらけだったことに気が付きます。
リスクを減らせ!
退院後、私は住環境の見直しをしています。
以前から、かたづけが趣味だったので、生活の中の危険、リスクを減らす工夫はしていました。今ではさらに、病気になりにくい生活環境を目指すようになりました。
もちろん部屋の広さや家の構造上の限界はあるので、工夫では対処しきれないのですが、「とりあえず今は大丈夫だからこれからも大丈夫だろう」という開き直りはせず諦めないで、自らの生活態度も見直しつつ、より健康に生きたいと考えています。