週末は家族が休みだったり、平日は育児があると、家事も自分のしたいことも思うように進めることができません。そんなとき「コイツらがいなかったら、もっと自分のペースで生活できるのになぁ」なんて思うことがあるんです。でも、はっ!と気づいちゃうんです。そもそもみんながいなくなっちゃったら、私が今しなければいけないことのほとんどがなくなっちゃうってことで、それはここにいる私も必要がないってことじゃないか!と。普段の不満をだらだらとつづります。
たいていは、遊んで暮らせ「ない」
子どものときは教育を受ける義務があるし、大人になると労働の義務がありますよね。いつになっても、好きなように遊べることはないッス。中には自由気ままに遊んで暮らせるよって人もいるかもしれませんけど、ごくごく少数でしょう。
私、最近まで知らなかったこと、つい最近知った事実に、「家事は労働であり仕事である」というのがあるんです。それまでは家の中のしなければいけないこと、つまり家事っていうのは、まあ最後には誰かがやらなければいけないこまごました雑用で、お金にならない事であって、だから仕事ではないって思っていたんです。そんな風に思っていたので、専業主婦(私の場合は主夫ですけど)なんて資本主義社会のゴミ、クズ的存在だと思ってました。そういう意識が私の根底にあったので、家事しかしていない私は、労働もしていないお金を稼いでいない、家の中のことだけしかしていない遊び人のようなもの、つまり大人として失格者だと思っていたんです。とは言っても、今の家の状況から考えても私自身の状況から考えても、フルタイムで働くこともパートタイムで働くことも不可能。そんな感じだったので、少しでも今できる「お金を稼ぐこと」はないかと考えてアフィリエイトを始めたりしたんです。今はあんまりアフィリエイトになってない気がするんですけど、とりあえずそこは考えないと言うことで。
家事は仕事であるという事実が、少しは私の精神的不満を解消させてくれました。それでもまだ不満はありますけどね。「そうは言っても、やっぱり社会的には、お金を稼ぐ方が正しいし、強いよね」って思っちゃう。今までそういうような教育を受けてきた気がするし、差別的かもしれないですけど、男として生まれて社会的に育ってきちゃってますから。たぶんこれからも大きくは変われないし、しょうがないです。
で、そんなマイナスなマイナスな思考に陥って考えてしまうのが「一体誰のためにこうやって家事をしなくてはいけないんだ?」的なことです。
もちろん自分のためもあるだろ
家事って自分の分もあるから「自分のため」でもあるんですよね。掃除、洗濯、食事…どれを取っても生活は成り立たないです。いや、お金稼いでいるなら家事の全てを誰かに任せることができるとかそういう話ではないです。それでもやっぱり誰かが尻拭いする必要がありますから。だからイライラしたときは「自分のため、自分のため」と言い聞かせたりすることもあります。ありますけど、やっぱり納得いかないんですよ、これが。
三女の服をたたんでいるときに、三女が一緒にやりたがって、お手伝いとか教育のためもあるしと付き合ってあげる、でも「こんなことに付き合わない方が」とか「コイツがいなかったら」とか考えて「早く終わるのになぁ」と思ってしまうんです。自分のだけならチャッチャと終わらせて、あとは好きなことできるのにみたいな?
でも、自分のだけならそもそも私は家事のためだけに家にいられるはずはないんですよね。生活のためのお金がないから。
ぐるぐる回して消化
結局のところ、こんな生活っていうのは、人のために自分は生きていて、人のためになっているから自分も生きていけて、自分がこうやって生きることで家族も生きていける…とどこからが原因でどこからが結果というのがわからない、どこに理由があって、どこに答えがあるのかわからない、ぐるぐる回っているところがあるんだと思います。
どこかが切れちゃったら、全部ダメになってしまう、そこまではならなくても、全然違う形でやり直さなくてはいけない。そんなことになったら、それはそれで結構大変。
だから、今、ぐるぐる回る不満はあっても、こうやって何とか生活できる、できているのはなかなかすごいことなんじゃないのかと、当たり前とか普通のことのように回っているのは、悪いことではないのではないかと、そんな感じで少しずつ自分の中で解消しつつ、生きていくしかないのではないかと思うことにして、不満を静めています。で、最終的には「生きていくって大変なことだね!」と妻に言って締めくくり、平穏に過ごすようにしています。