今日三女は、おしめを替えるときのわがままで、妻に怒られました。そのときに「なんで(三女が)好きって言ってるのに、みんなは嫌いなの?(嫌いって言うの?)」と泣きながら一言。そのとき床掃除をしていた私は「好きって言うだけじゃ、行動が伴わないと好きが伝わらないからだよ」と心の中で答えたのですが、これは三女に限った話ではないなと思いました。そんな日常の一コマからの考えをダラダラつづります。
なぜ?は簡単だけど、答えるのは難しい
子育てをしていると、当然子どもと話す機会が多くなります。上の二人が女の子だったから(差別的?)なのかもしれませんが、今も今までも私はしょっちゅうベラベラとしゃべりながら、家事をこなしてきました。
我が家で質問が多いのは特に次女で、しょっちゅう「なんで?」と私に質問してきます。「わからない」と答えざるを得ないような難しい質問もあれば、なんとか考えれば答えられそうな質問、あるいはそれくらいは自分で調べろという質問までさまざまです。ときには辞書で調べてなんてこともありますね。
最近は、それくらい自分で調べろよ、が多かったりしますが、「こうだからじゃないかしらん?」とついつい答えたくなるようなものもまだあります。でも、次女にわかるレベルで答えるのが結構難しかったりするんです。「~だから」の部分で難解な言葉を使うと、「~って何?」と追加で聞かれたり、「~って言葉知ってる?」という私の逆質問に案の定「知らない」と返ってくるので、まずはそこらへんをもっとかみ砕いて説明して…なんて感じで、答えるのに苦労するんです。気が付くと、ものすごく長時間にわたって話が続いていて、最後には「なんでこんな話になったんだっけ?」というお疲れサンな状況が結構…じゃなくていつもですね、あはは…。それが食事中だと、早食いな私だけ食べ終わっていて子どもは全然で、「早く食べろ!」となることも…、ってまた関係ない話ですね。
そんな感じで、とりあえず疑問を持っているその子どもにわかるレベルの言葉で話すことが、まず難しいです。
大人もわかってない?
平易な言葉で説明しなければいけないから難しいということは、疑問に答えるのが難しいという以前の話なのでは?とも思うかもしれません。
けれど、我々大人も普段、なんらかの疑問や概念、あるいは仕組みなんかを難解な言葉で片づけてわかった風を装っているだけ、ってことありませんか?で、装っているだけなことにも気づかないでいるんですよ。しかも単純に思えるようなことほど、正解がいくつもあるような、本当は正解なんてないようなこともあったり。そんな感じの大人にたいして、子どもが「なぜ?」ってズバッと質問してきちゃう。大人はわかったつもりでいるだけだからスパッとわかりやすく答えることができないんです。
私は、結果的に子どもが何となくでもわかったと思えるように答えることができないとき、そもそもその質問に対する答えを考えているときになかなかかみ砕けなくて、「あ、私もその疑問についてはわかってないな、わかってなかったな」と気づくことが多いです。あるいは「こういう考え方もある、気がしたけど自信はない」的な答えしかできなくて「あ、私も大してそのことを詳しく知らないな、知ったかぶりで調べたことすらなかったな」と気づくこともあります。
大人でもわからないこと、多い。と、子どもの質問で気づかされます。
「育児は育自」か…。
とりあえず最初にあえて断っておきたいのですが、私は「育児は育自」的な考えとか、この言葉遊びな言葉が大っ嫌いで、普段は絶対に口にしません。世間的にはこれで一応通用すると思うのでここでは使いますけど。
子どもの成長とともに、我が家で繰り返されている「なぜ?」も内容が少しずつ変わっていっています。なぜ?も成長するんですね。
もっと小さい小さい頃だったら、もう少し直感的な言葉、たとえば「ズバーンと」とか「ビヨ~ンって」のような擬態語、擬音語なんかを駆使して、わりとごまかした答え方で済んでたこともありました。あるいは「そんなことはわかっているよ、そういうことを聞きたいんじゃない」という返事をわざとして、ごまかすことも多々ありました。これは状況説明のときにも多いのですが、そうじゃない説明のときにも結構使います。例をちょっとすぐに思い出せないので適当に今考えると、子どもの「このタオル、どうして濡れてるんだろう?」という質問に、「うん、水が付いたからじゃないかな」と答えるような感じです。
子どもが成長して大きくなってくるにつれて、ごまかしが通用しなくなってくるので、自然と自分がわからなかったことは、あらためて調べたり考えてみなくてはいけないです。そのたびに、私もまだまだだな、と思うことになって日々勉強が必要だなぁと痛感します。子どもの興味やとりまく環境の変化に合わせて、こちらも対応していくための知識とか技術を得ていくのはそれなりに大変ですけど、それなりに楽しくもあります。普通にサラリーマンだったら、こんな風にはならなかったんだろうなぁと思う日常で、それは良くも悪くもあるんですけど。
三女はあと1ヶ月半ほどでようやく三歳になる、という状況なので、まだまだ子どもの「なぜ?」にハッとさせられることが続きそうです。