こんにちは、koyukaisa.workの真田夕起です!
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主夫生活は基本、ひま
と、思われているのではないだろうか。
当たりである。実際、暇な時が多いのだが、単純に暇ならまだ良いのだけれど、そうとも言い切れないのがちょっと面倒なところ。うまく言えないのがもどかしい。
生活に若干でも余裕があるからそういうことが言えているんでしょ?!とか単なる道楽者と言われそうだが、まあ実際そういう部分もないわけではないので、反論はしない、、、煮え切らないなぁ。
なんて言えばいいのか、待ち時間が異常に長い生活なのだ。家族のために待っている時間というのが長い。その中に、私を含めた家族全員の生活を維持するために必要なお金にはならない仕事(w)がところどころに入ってきて、時間帯によっては殺伐という言葉が似合うくらいには忙しくなる、そんな生活である。
特に乳幼児を抱えている時期の育児では、こどもを待つことが生活の大半を占めている。ずっとご飯を作り続けていたり掃除洗濯し続けていたり、おしめを替え続けていたり、こどもと一緒に遊び続けていたり、食べさせ続けたり、歯を磨き続けたり、寝かしつけ続けていたりするわけでは、全然ない。もちろんそういう時間もある。あるし、そういった時間は忙しかったり大変だったりするけれど、過ぎてしまえば一瞬だとも言えるような時間で、そのほかの時間は、忙しい時間が来るまでの待ち時間みたいなものなのだ。
こどもが成長して大きくなってきても、そんな生活はしばらく続く。成長しても、ほんとの本当に全部、すべての事を自分で始めて終わらせられるようになるのは難しいから、どこかで手助けが必要になる。
手助けは、ほんのちょっとのことかもしれないし、時間かもしれない。しかし、そのほんのちょっとが必要なのが、いつなのか、によって、自分にとってまとまった(金を稼ぐための)時間を取るための大きな壁になることが結構あって、そこさえなければできることがある、ということに悩む事や時がかなりある。
たしかに幼稚園だとか学校だとかに行きだすと、その時間分は教育機関に責任をなすりつけられるため、ある程度まとまった暇な時間が取れるようにはなってくる。しかし、油断はできない。こどもはこどもだから、弱くて、すぐに風邪をひいたり体調を悪くすることがあって、そのときに世話をするために待機するか、あるいは代わりに世話をしてくれる人を見つけておく必要がある。連休だの長期休暇だのが入ってくると、こどもだけを家に残しておくわけにはいかないから、たとえやることがなくても始終家に縛られる生活を強いられる。ある程度まとまった暇な時間とはいえども、完全に自分のための自由である時間では決してない。
もちろん、このような待ち時間を取っていられない生活をする主夫(婦)もいるだろう、ありていに言えば金になる仕事を持っている人のことだが、そういう場合は仕事で稼いだお金を使って時間を買う、ということになる。保育所や家事代行サービスのほか、習い事なども考えられる。金になる仕事を持っているが、時間を買えるほどの稼ぎにはならない、という場合は、やはり専業主夫(婦)を選ばざるを得ないことも多い。
自分の父や母、あるいは配偶者の父や母、あるいはそのような関係にあたる人々に任せることができる、という人もいるだろうと思われる。ただし、そこに金銭が発生していないのであれば、単なる労働力の搾取であるとも言えるし、結局のところ誰かに負担を押し付けて、面倒な待ち時間は見ないことにしているだけでもあるので、主夫(婦)の生活というそのものがなくなっているわけでは、ない。
個人個人の状況の差があるので、絶対ではないのだけれど、ずっと暇なわけではないけれど暇で、かと言ってずっとじゃあ忙しいわけではないけれど忙しいといっていいほどに拘束はされている、それが主夫(婦)の生活なのではないだろうか、と専業主夫生活を20数年続けている私は思っている。
ということで、今回の記事はここまでです。最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
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