こんにちは、koyukaisa.workの真田夕起です!
初めて訪問してくださった方も、いつも読んでくださっている方も、ありがとうございます。本日も楽しんでいただける記事をお届けしますので、どうぞリラックスしてお読みください。
ブロック遊びは私の原点の一つだと思う。
小学生のころ、ブロック遊びが好きだった。なにか遊ぶものないかとおもちゃ箱をひっくり返したときに一番多く手にしたのは「ブロック」だったと思う。
同じようなものや説明書通りにしか作れなかったけれど、それでも折り紙で何度も鶴や奴さんを折るみたいで楽しかった。ひたすら階段を作ったり、もっとも基本のブロック3つだけを組み合わせ飛行機に見立てたものを手に持ったままピューっと言いながら飛ぶ真似事をさせたり。説明書のキャタピラ付きロボットは説明書を見ないでも作れるほど覚えてしまった。
ファミコンが流行ると、ブロック遊びが少なくなり、小学校6年生のときの引っ越しを機会に手放してしまった。しばらくは忘れていたブロック遊びだったのだが、20代、特に自主アニメを作ろうとしていたあたりから、アナログな遊びやおもちゃの存在意義というか重要性というか、私自身にとってはどれだけ大切なものなのかみたいなちょっとうまく言えないけれど、そういったものを意識というか再確認しだしていて、その中でブロックを手放してしまったことを後悔するくらいにはなっていた。
結婚して子どもが生まれ、遊ぶものを与えるときが来て、またブロックを手にすることになった。ワクワクしたし嬉しかった。ブロック遊びに対する想いは変わらなかったんだと気づいた。
長女(大一)、次女(高三)はすでにブロックよりも電話に興味が移っているのだが、まだ彼らがブロックで遊ぶこともあったときに三女が生まれて、現在は三女(小三)の遊び道具として引き継がれている。そんな三女も上の影響があるのでデジタル機器に興味が移りかけている。けれど、ブロック遊びの面白さを伝えることはできていたようで、ブロックを残すべきか悩んでいる話を娘たちにすると「残すべきじゃない?」と言ってくれる。
ブロックを、私はこれからどうしたらいいのか悩んでいる。
どうしようか迷っている。
ブロックをそのまま残しておくのか?
子どもたちに引き継ぐのか?
それとも、新しい形で使うのか?
まだ答えは出ていない
https://bard.google.com/
一度手放して、後悔があり、また手にした経緯があるので、さらに手放すと絶対に後悔しか残らないという自信しかない。たとえ他のものが置けないとしても、よほどかたづけられない状況が来ない限りは処分しないほうが良い気がする。
しかし、悩んでいるのはブロックである。遊びに年齢は関係ないと言う人はいるかもしれない。
が、46にもなった大人が毎日のように嬉々としてブロックで遊ぶわけではもちろんなく、どちらかといえば、ケースの中に入って陳列されているブロックを眺めるどころか、ちらと目に入ってきたくらいの時間のほうが圧倒的に長い、つまり、たんすの肥やしと同じなのではないかとも思うのだ。
でも、ブロック遊びは、ただ単に遊ぶだけじゃない。
想像力や創造力を育む。
集中力や忍耐力を養う。
失敗から学ぶ。
そんな大切なものを教えてくれる。
だから、僕はブロックを捨てられない。
Bard (google.com)
と、文章のブラッシュアップを頼んでみたBardにまで説得させられてしまった。(まるで商品の宣伝文句である。)
世の中には極小サイズのブロックもあるので、置き換える方法もあるのだが、私は手でガシガシと組んでいけるノーマル?サイズが好きなので、ちょっとそれは遠慮したいかな~と感じるのも悩みどころ。そこにこだわるくらいに遊んでいるのか?が問題なのだが好き嫌いがかかわってくるので簡単ではない。
そんな感じでどうでもいいと言えばどうでもいい悩みを抱えつつ、生活の中で使えば収納場所には困らないのではないか?と使ってみたり、とにかく三女がブロックで遊んでいるときには可能な限り積極的にブロック遊びに参加している。
うーむ、どうしたもんだろブロック、、、。
ということで、今回の記事はここまでです。最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
今後も皆さんの役に立つ情報をどんどんお届けしていきますので、次回もお楽しみに。ご質問や感想があれば、コメント欄で気軽に教えてくださいね。真田夕起でした!!
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